LostWaltz
第2話
Ver.1.01
制作: GRNVKA
何か辛いことがあると、公園のベンチで時を過ごす。
その日のあかりもそうだった。
長い恋に終幕が訪れた昨夜の出来事で、あかりは完全に打ち倒され、立ち直れずにいた。
大学にはとても行く気はしなかった。朝方、友人の綾乃に電話を掛け、今日は休むとだけ伝えた。
普段の綾乃は、いちいち理由を追及するようなことはしない。
ただそのときはあかりの声があまりにひどかったのだろう、風邪でもひいたのかと、心配そうな声を出していた。そこで何と答えたのか、あかりは覚えていない。
ぼんやりと公園の噴水を見つめるあかり。
退屈なワルツのように繰り返し同じ水を噴き上げるその姿は、距離を詰められそうで詰められないまま日々を過ごしたあかりと浩之の姿そのものだった。
そしてあかりの思考も一つところを巡り続ける。
浩之がマルチと同棲していた。
そのことを考えるたび、涙がじわっと湧いてくるのだ。浩之の隣は自分の居場所だったはずだ。なのに、いつの間にか、他人に奪われてしまっていた…。
駄目なのかな。私の想い、もう届かないのかな。
自分の膝をぎゅっと握りしめ、肩を震わせるあかり。
その後のことも悪い。
つい強く言いすぎて、浩之に怒鳴られてしまった。それも生まれてはじめて。
浩之には多分、いや確実に嫌われてしまったろう。
どうしよう。
どうしたら仲直りできるだろう?
…駄目だ、考えつかない。
誰だって、愛する者のことを悪く言われたら怒るだろう。ましてあかりのあの差別に満ちた言葉を聞いたら、どんなに温厚な人間だって、激怒するに決まってる。
それを考えると、浩之から絶交を言い渡されたような気がして、あかりは目の前が真っ暗になった。
あかりは浩之なしの人生など考えたこともない。考えられないのだ。
途方に暮れたまま、心の中で呟き続ける。
これからどうしたら…。
「あのぅ」
目の前に誰かの影が落ちた。
顔を上げたあかりの表情に驚きが浮かんだ。
そこに立っていたのはマルチだった。買い物の帰りらしく、両手に買い物袋を提げていた。
量産型のマルチとは違う。
すぐに分かった。
これは、昔、同じ高校に通っていたあの試作型のマルチなのだと。
「こ、こんにちは、あかりさん」
「…」
この子に何と言えばいいのだろう。あかりはさんざん迷った後、小声でこんにちはと答えた。
そしてまた顔を伏せる。泣き顔をマルチに見られたのが恥ずかしかった。
マルチは遠慮がちに話しかけてきた。
「あの…ええと…お久しぶりですね」
そうだね。おひさしぶりだよね。三年ぶりだもの。
あかりは心の中でそんな言葉をもてあそぶ。
浩之とのことがなければ、あかりは再会の奇蹟に驚き、手を取り合って喜んでいただろう。そこで嬉し涙の一つも流したかも知れない。
マルチは研究所に帰り、そこでホストコンピュータに記憶を移して、永遠の眠りにつくはずだった。その辺りの事情を聞かされたあかりは、当時、余りに悲しいマルチの運命に同情したものだった。
この子が浩之ちゃんと一緒に暮らしてるんだ。
あかりの瞳が揺れる。
マルチは、以前とは少し印象が違っていた。
その居住まいからは、以前のような子供っぽい天真爛漫さは薄れて、しっとりとした落ち着きが感じられる。それは、愛する人を持った女性が見せる変化のようにも思えた。
浩之だ。
あかりは唇を噛んだ。
浩之がマルチを変えたのだ。
マルチは、何も言わないあかりに、次の言葉を探しあぐねているようだった。
あかりの前でもじもじと立っているマルチ。
あかりは、一人にしておいてとよっぽど言いたかったが、思い直して、すっと腰を横にずらした。
「…座る…?」
こんなときでさえ、マルチに対して『いい子』を演じている自分が嫌になる。
「あ、はい」
とん、とベンチの木が軽くきしむ音。
二人はしばらく話題を見つけられぬまま、ただ隣り合って座っていた。
「あの」「あのね…」
同時だった。思わず顔を見合わせる二人。
「ど、どうぞ」
「…マルチちゃんからでいいよ」
間が空く。
悲しい顔のあかりに、マルチは何も言えなくなってしまったようだった。
「ね…」
あかりは焦点の合わない声で尋ねた。
「マルチちゃんは浩之ちゃんの家に居るんでしょ…?」
一瞬ためらう素振りをした後、マルチは小さく、はいと答えた。
その言葉には、何処か罪悪感が滲んでいた。
そうか、やっぱり知ってるんだ。
あかりは敏感に反応する。
この子、私の気持ちを知ってるんだ…。
恋の勝利者であるマルチからいたわられていると考えただけで、あかりは一層惨めな気持ちになった。
「そうだよね…一緒に暮らしているんだよね…」
聞かずもがなのことを聞き、言わずもがなのことを呟き、それでまたあかりはどんよりと落ち込んだ。
会話のない時間がただただ過ぎていく。
気が付くと、視界の端で影が動いていた。少しだけ顔をそちらに向けるあかり。
マルチだった。所在なげに、振り子のように足を揺らしていた。そのたび、影が遊歩道の上に伸びては縮み、縮んでは伸びる。
あかりの視線を感じて、マルチは赤くなった。
「す、すみません」
何故か謝る。
「…」
あかりは、気にしないで、と言うように首を振り、暗くうつむいた。
ぼんやりと思った。
退屈なら、さっさと帰ればいいのに。どうして私に付きまとうの?
あかりには、あかりと一緒に居たがるマルチの気持ちが分からない。
恋敵の同情なんて要らない。どんな慰めの言葉も、却って傷つくだけ。
それくらい分かってよ。
あかりの中に、怒りがゆっくりと溜まり始める。
さっさと浩之ちゃんのところに帰ればいいじゃない。あなたが何を言ったって、慰めにはならないんだから…!
「いいなぁ…」
と、そのとき、マルチの小さな独り言が、あかりの耳に届いた。
「…?」
マルチは噴水の方を熱心に見つめていた。つられてそちらを見るあかり。
噴水の近くに、親子連れの姿があった。
噴水の縁石にぽんと飛び乗り、バランスを取るように両手を広げて歩く、小さな男の子。幼稚園のものなのだろうか、水兵服のようなデザインの制服がよく似合っていた。それを見守りながら、母親がそばに付き従っていた。
噴水がひときわ高く水の柱を伸ばした。
見とれてバランスを崩しそうになる影に、大きな影が駆け寄り、溶け合って一つになった。
子供のきらきらした笑い声と、安心をにじませた母親の叱り声が聞こえた。
楽しそうだった。
幸せそうだった。
手をつないで公園を抜けていくその親子の後ろ姿に、マルチはいつまでも見入っていた。
深い溜息の後、マルチは急に静かになった。
今度の沈黙は長かった。
三十分以上それは続いたろうか。
「あの…」
マルチだった。何か思い直したように、
「そろそろ夜になります。一緒に帰りませんか?」
気が付くと、公園の木々の影が、暗がりに沈み始めていた。
夕陽はとうに落ち、暗い赤の光が、西の空を染めていた。薄れゆく空の青の向こうに、星の輝きが透け始めている。
「…」
あかりの王子様は来ない。来るはずもない。
そんなに都合良いこと、起こらないよね。
だって私、浩之ちゃんに嫌われたんだもの。
あかりは小さく、わかった、と首を振ると、ふらり立ち上がった。
*****
公園からの帰り道、あかりとマルチは、殆ど何も言葉を交わさなかった。
マルチはあかりに気兼ねしているのか、終始しょんぼりとうつむきがちで、時折漏らす溜息のようなもの以外は、殆ど言葉を口にしない。あかりの方はというと、何も話す気力が湧かない。
そんな二人は、公園の近くの交差点で信号待ちをしていた。
近くで工事があるらしく、大きなダンプカーがひっきりなしに走り過ぎる。
二人の目の前をかすめるように、乱暴な運転のダンプカーが走り抜けた。
排気ガスの奔流が、強くあかりの顔面を叩いた。
うつろに沈んでいたあかりの心の中で、何かが目を覚ます。
もしも。
あかりは、斜め前に立って信号が変わるのを待っているマルチを、ぼんやり見つめた。
もしも、この子が消えたら、浩之ちゃんはどうするんだろう?
たとえば、ここで交通事故に遭ったら…?
突然降って湧いたこの恐ろしい想像に、あかりは身震いした。
そんな考え方をする自分が信じられない。仮にもマルチは、同じ学校に通っていた学友だ。そのマルチを事故に…?
でも人間じゃない。
その内心の声は、氷のように冷たかった。
浩之との思い出が、フラッシュバックのように甦る。
『浩之ちゃん、お弁当作ってきたんだけど、食べる?』
『おぅ!』
『うふふ』
『なんだよ、あかり、気持ち悪い笑い方するんじゃねーよ』
『なんでもないよ。ねぇ浩之ちゃん、味はどうかな?』
『グッドだ。お前、いい嫁さんになれるぜ』
今なら、あの日々を取り戻せる。
正しい道に二人引き返せる。
それは余りに甘く、魅力的な未来だった。
人に聞かれたら、つまずいたと言えばいい。つまずいて、そのはずみにマルチを車道に押し出してしまったと言えばいい。
小さいマルチ。あの軽い身体は、あかりの一押しに耐えて踏みとどまることは出来ないだろう。
たった一押しで掴める未来。ほんの少しの努力で変えられる運命。
あかりはつばを飲み込んでいた。額に脂汗がじっとり滲む。
何秒かだけ、良心を忘れるだけでいいのだ。ことを為した直後はその何秒かを後悔するだろうが、人生の終わりにはきっと感謝するようになる。
さぁ。
心の中の何かに命じられるまま、じり、じりと、マルチの方ににじり寄るあかり。
さぁ、押せ…!
*****
ゴオオオオッ!
ダンプカーの地響きに似た轟音が、あかりを正気に戻した。
あかりの目に、マルチの身体が、ダンプカーの巻き起こす風に吸い寄せられるように、ふらりと前に出るのが映った。
「危ないっ!」
思わず叫んでいた。それと同時に、マルチの身体に抱き付き、激しく引き戻した。
歩道すれすれをかすめるように、後続するダンプカーの巨大な車体が、恐ろしい勢いで走り過ぎていく。
マルチが手に提げていた買い物袋の一つが、放物線を描いて車道に落ち、ダンプカーの後輪に踏みにじられた。入っていた卵が割れ、黄色い液体がアスファルトに広がる。
「あ、あかりさん!?」
肩越しに振り返るマルチ。急に夢から覚めたかのような、驚いた表情だった。あかりがぼろぼろと涙をこぼしているのを見て、びっくりして更に目を見開く。
「あんまり歩道の端に立ってると轢かれちゃうよ!? …本当に危ないんだよっ!?」
殺そうとした。
「ご、ごめんなさい」
叱られて身を縮めるマルチ。
「気を付けなきゃ…! 気を付けなきゃ駄目なんだよっ…!?」
私、今、この子を殺そうとしたっ…!
自責の涙がマルチの肩を濡らし続ける。
「もし、私が…私が…」
マルチの身体を抱いたまま、あかりはうわごとのように呟いていた。
あなたを突き飛ばしていたら。
あかりの心に、そんな暗い言葉が、ぽかり浮かび上がる。
ダンプカーに踏みしだかれ、ばらばらに砕け散るマルチの姿。それを想像しただけで恐ろしくて足が震える。でもそのぞっとするような感覚が過ぎたあと、何処か甘美な余韻が残るのは何故なのだろう?
自分が恐い。あかりは、自分が、人の心を誘惑し狂わしていく、得体の知れない魔物に取り憑かれたような気がした。
その魔物とは多分、これからも事ある毎に対峙して行かねばならないのだ。『良心』というか細い剣だけで、その魔物を打ち払わねばならないのだ。
いつか、そう、いつの日か、誘惑に負けてしまう日がやってくるのではないか…?
その日のことを思うと胸がひしげそうになり、あかりは大声で叫びだしたい衝動に駆られた。
そんな、そんなこと、やっぱり出来ないっ! 出来るわけないよっ!
あかりは頭を抱えて激しく首を振る。
がちがちと歯が鳴る。熱病にかかったように身体が震え出す。
「あかりさん! あかりさんっ!」
気が付くと、マルチがあかりを揺すっていた。
心配そうだ。
あかりは無理に笑顔を作ろうとしたが、それはうまくいかなかった。
また涙が溢れてきた。悔悟と安堵の入り混じる涙だった。
*****
浩之の家はしんと静まり返っていた。
「何もありませんけど」
あかりを居間に通したマルチは、恥ずかしそうにそう言った。
パチパチと微かな音がして、頭上の蛍光灯がともる。
帰り道、マルチはあかりに言った。
浩之さん、今日は遅いんです。良かったらうちで休んでいきませんか? と。
考え無しにマルチの言葉に乗ってしまったあかりだったが、後でよく考えてみれば、あかりの家はすぐ近くなのだ。立ち寄るほどのこともなかった。
勧められるまま、あかりはぽふっとソファに腰掛けた。
勝手知ったとは言わないまでも、浩之の家の中は良く分かっていた。あかりが浩之のために料理を作っている間、浩之はこのソファに座って、撮り貯めたビデオを観ていたものだった。
『浩之ちゃん、ご飯出来たよ』
自分の声が聞こえたような気がした。
つらい記憶だ。
あかりは顔を歪め、目を閉じた。
『ほら、食器並べるの手伝ってよ』
『お前、母親じゃねーんだからよー』
『早くしないと冷めちゃうよ…』
かちゃかちゃと食器の触れ合う音が聞こえてきた。マルチが台所で何かしているのだろう。
昔、浩之もこんな風に台所の物音を聞いていたのだろうか? あかりが立てる音を聞きながら、何かをしていたのだろうか?
ああ、もうやめよう。
あかりはため息を付く。過去を追いやるように首を振った。
昔を思い出すのはやめよう。
気分転換にTVでも付けようかとリモコンを探すが、無い。結局、所在なげにソファに座り続けるしかなかった。
ガラス戸棚の中に置かれた置き時計の、時を刻む音がする。遠くの通りを駆け抜けていくバイクの高い爆音。ぶーんと低く唸る蛍光灯のインバータの音。
あかりは爪でソファの握りをコツコツと弾いていた。驚くほど良く響いた。
この家は静かだった。誰も居ないのだから、それは当然だった。浩之の両親は、都内に別のマンションを借りて、そこで生活しているのだ。大がかりな電算システムの設計を指揮しているのだと聞いたことがあった。とにかく手が掛かるようで、この家には滅多に帰ってこなかった。
料理を作りに行ったとき、浩之が妙に嬉しそうな顔をしていたことを思い出す。口では親が居なくてせいせいすると言っていたけれど、本当は寂しかったのだろうか…?
また浩之の思い出に浸りそうになっていた。
気持ちを紛れさせてくれるものを求めて、周囲をしげしげ観察するあかり。
家具という家具が、展示場のようにピカピカに輝いていることに、あかりは気付いた。
随分と綺麗に片づいている。
考えてみればそれは当然で、マルチは掃除が大好きなのだ。あかりは、サイドボードの上に指を這わせてみた。埃一つ付いてない。
何やってんだろ。これじゃお姑さんみたい。
心の中に自嘲めいた思いが広がったそのとき、
「あかりさん」
突然声を掛けられ、あかりは飛び上がった。
「な、なに?」
「お茶はいかがですか?」
マルチがお盆を捧げ持って立っていた。紅茶の上品な香りが辺りに漂う。
「…ありがとう」
あかりがカップを取ったのを見計らって、マルチはあかりの隣に座った。
マルチは心持ち面を伏せていた。何か考えているようだった。
あかりが数度カップに口を付けたところで、ようやく顔を上げる。
「あかりさん」
マルチは急に真剣な声を出した。
「え…?」
その思い詰めた表情に、あかりはカップを置いて、姿勢を正した。
しばらく沈黙があった。
「実はお願いがあります」
ようやく決心した、というように口を開くマルチ。
これ以上、浩之ちゃんに付きまとわないでくれとか?
あかりの中に、そんなフレーズが浮かんだ。
だとすれば、ありきたりなお願いだ。あかりは浩之を失うことで、既に深く傷ついていた。今さらマルチから何を言われたところで、どうこういうものでもない。
聞いてやろう。
開き直りの気持ちすら、あかりの中には生まれていた。
「あかりさんは、浩之さんのこと、好きですよね」
この場合の『好き』が、『愛してる』の意味であることは分かる。
あかりはじっとマルチの顔を見つめた後、こくっと頷いた。
そうだ。愛している。愛していなければ、こんなにつらい思いをするはずがないではないか。
あかりは、殆ど睨み付けるようにして、マルチと向き合っていた。
「あの…驚かないで下さいね」
マルチの目はすがるような、必死の色を湛えていた。
「実は、あかりさんに浩之さんのことをお願いしたいんです」
えっ?
唐突な告白に、あかりはびっくりする。
「私はこれ以上、ここに居られません。居ない方がいいんです」
「い、居られないって…じゃあ何処に行くの?」
マルチは無言だった。視線を床に落とす。
「マルチちゃん…?」
マルチはおどおどと答えた。
「と、とりあえずは、来栖川の研究所に戻ろうかと思ってます」
「戻りますって、戻っても大丈夫なの?」
マルチの言葉に揺らぎを感じ取ったあかりは胸騒ぎを覚えた。
「マルチちゃん?」
「…」
あかりの前でマルチは言葉に詰まり、うなだれてしまった。
あかりは知らなかったが、マルチの産みの親である長瀬源五郎は、札幌にあるグループ企業の研究所に移籍していた。
機能を剥奪され、低価格商品としての道を歩まざるを得なかったHM−12系だったが、試作機の出来の良さを惜しむ声は根強かった。
特に、同じグループ企業であり、しばしば協業相手でもあった来栖川重工は、HM−12の研究資産がリストラによって失われようとするのを、強く惜しんだ。重厚長大型産業であるが故に小回りの利かない彼らは、来栖川電工の持つ民生品ロボットのノウハウを欲していたのだ。
来栖川重工隷下の巨大な研究開発複合体『来栖川重工・先端技術研究所』(先技研)から、新型ロボットの開発について打診が来たとき、HM−12系への夢を諦めきれなかった長瀬は、来栖川重工への移籍を決意した。
技術者の移籍によって企業間が険悪になるのは良くあることだが、この場合は、そうした事例には当てはまらなかった。
当時、松下系企業との価格競争に敗れつつあった来栖川電工は、リストラ対象だったHM−12系の開発ラインをただ取り潰すのではなく、カネにする方法を思い付いたのだ。
長瀬と彼に従う技術者たちには、実に、百億近い値札が付いていたのだった。
『こういうことは、サラリーマンには付き物でね。と言っても、お前には分からないかな』
最後に挨拶に行ったとき、長瀬は寂しそうに微笑んだ。
げっそりとやつれていた。
引継作業の他に、移籍先で始まるプロジェクトの前準備で、ロクに眠っていない様子だった。
精一杯笑顔を作るマルチに、長瀬は、幸せそうで良かった、と安堵の表情を浮かべた。
それを見ると、もう何も言えなくなった。
長瀬はマルチの頭を撫でながら、
『君たちのことは公には出来ないが…サービスステーションの友人に話を通しておくよ。何かあったら、連絡を寄越しなさい』
マルチが頼りにしていた長瀬はそう言って、千キロ彼方の地に旅立ってしまった。
あかりには、何故マルチが出ていくと言い出したのかわからない。
「浩之ちゃんと暮らしているんでしょ? だったら何故…」
マルチはふるふると首を振った。
「こんな生活、いつまでも続けちゃだめだと思うんです。私、人間のみなさんの生活を見ているうちに、不安になってきたんです」
マルチの瞳には、苦悩と悲しみが、ない交ぜになって現れていた。
マルチは言う。
「浩之さんは何も心配しなくていいとおっしゃいます。でも私は心配なんです。このままだと、浩之さんの人生が台無しになっちゃうんじゃないかって。ご近所のみなさんを見てて、いつも思うんです。みなさん、結婚されてて、お子さんがいらしてて、そうやって幸せに暮らされてるんです。でも私は浩之さんにそういう生き方をさせてあげられない…」
マルチは言葉を切り、肩を落とした。
ああ、この子は本当に浩之ちゃんを愛してるんだ。
あかりは胸にズキンと痛みを覚えた。
だけど、人間社会の壁に突き当たって、どうにもならなくて悩んでるんだ…。
「人間の皆さんが本当にうらやましいです」
マルチは半泣きでぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「人間の女の人なら、結婚して、子供を産んで、普通の家庭を作ることが出来ます。子供から『お母さん』って、そんな風に呼ばれて…」
「でも、私は…私なんかじゃ…そんな生活…ロボットだから…どんなに頑張ったって」
「このままだと、浩之さんの人生が、普通と全然違ってきて…」
「浩之さんが可哀相…私のせいで、みんなと違う生き方なんて…」
「私…私…こんな事なら…普通のロボットに戻りたい…」
マルチは顔を覆った。
か細く、普通のロボットに戻りたい、を繰り返し続けた。
あかりにとって、手の届かない彼方の存在に思えたマルチが、急に身近に感じられた。
あかりの前にいるマルチは、人間の幸せを望んで得られぬことに、もがき苦しんでいた。かつてのマルチの姿はもうそこにはなかった。
高校の頃のマルチは、いつも笑っていた。無邪気で人を疑うことを知らない笑顔だった。人間に尽くすことが幸せなのだと、そう自信を持って言っていた。
しかし、それはロボットとしての生き方だった。
浩之は「ロボット云々以前に、マルチはマルチなんだ」とは言ってくれたものの、生き方は二通りしか選べなかった。
ロボットとして浩之に仕えるのか、人間として浩之と愛し合うのか。
浩之が、自分の恋人に、以前と同じ生き方を…ロボットとしての生き方を望まないのは当然だった。浩之と結ばれたマルチは、浩之と同じ人間として生きることを、否応なく迫られた。
だが、人間として生きようとしたその瞬間、今まで穏やかにマルチに接していた人間社会が、牙を剥いた。人間社会の価値観が、どっと流れ込んできたのだ。
人間としての生活を知らないマルチは、浩之の求めるまま良き伴侶になろうとして周囲を見回し…そこで愕然とした。
浩之との生活は、周囲の家庭とは大きく異なっていた。ロボットと暮らす人生を選択した人間は、一人も居なかった。
人間社会は、人間とロボットの恋愛を、完全に拒絶していた。そうした恋愛はあり得ないと、存在すら認めていなかった。浩之とマルチのようなケースは、非常識なことだったのだ。
社会に適応できない人間が、人間の女性の代用品としてメイドロボを「使う」のだと、社会の良識は主張していた。まともな人間なら、メイドロボを恋人にはしないのだ、と。
そうした周囲の否定的な空気を感じ取れないマルチではない。マルチは強い不安を覚えるようになる。
人間社会はマルチという新参者に冷たかった。
どんなさりげない日常でさえ、絶えず絶えず、人間社会の『あるべき姿』というものを、マルチにつきつけ続けた。
散々古くさいと言われながらも、人間社会の中で営々と生き続けてきた『幸せの概念』…結婚し、家庭を築き、子供をもうける…そんな人間社会の『一般的な幸福のあり方』というものが、ロボットのマルチを、事あるごとに責め立て、追い詰め、押し潰そうとした。
『お前は人間とは違う』
『お前たちの生活は普通じゃない』
『お前は浩之を不幸にする』
周囲にあるもの全てが無言で非難する。浩之の傍らに居るマルチを非難するのだ。
『お前は浩之を不幸にする…!』
『他人は他人だろ』
浩之はそう言うばかりなのだ。ばかばかしい、気にするなよ、とも。マルチがどれほど訴えても、まともに取り合おうとしない。
マルチは、生まれてから三年足らず。インプットされた知識は薄っぺらで、自分の生き方に自信を持たせてはくれない。自信を支えるだけの経験も積んでいない。日々明らかになる現実に不安に駆られ、順応しようとしてつまずきを繰り返し、途方に暮れるだけ。
それだけではない。マルチの背中には、ずっしりと十字架の…ロボットという逃れられぬ運命の…重みがかかり続けていた。
余りに大きなハンディだった。
人の心を持ってしまったロボット。人と変わらぬ心を持ちながら、ロボットであるが故に永遠に疎外感を味わい、孤独であり続ける生活。
なにより残酷なのは浩之だ。浩之がマルチを人間として愛すれば愛するほど、マルチは人間との違いをますます意識し、苦しむようになる。
手を伸ばしても届かない。隣で微笑む浩之は、まるで水に映る月のようなものだった。その実体は遙か彼方、望んで叶わぬ遠い存在の『人間』。
いっそお前はロボットだと突き放してくれたほうが、どれほど楽になれたことか…。
うつむいてしまったマルチを前に、戸惑いを隠せないあかりだった。
マルチの途切れ途切れの告白は、まるで悲鳴のように聞こえた。
深い絶望が垣間見えたような気がした。
マルチちゃん…。
マルチが背負った苦しい運命を思うと、何と言えばいいのか分からないあかりだった。
あかりは、いつしか目の前のマルチに同情を覚え始めている自分に気付いていた。
「あかりさんには本当に申し訳ないことをしました」
ぐずっとマルチはすすり上げた。
「私と浩之さんとは釣り合いません。お似合いなのはあかりさんなんです。あかりさんなら浩之さんを一杯愛して下さるでしょうし、子供も生んで下さると思います。結婚だって…」
「マルチちゃん、そんな…」
マルチの言葉が突き刺さってくる。
弱々しく否定しようとするあかりに、マルチは首を振って遮った。
「あかりさんはお優しい、素敵な方です。私なんかのためにこうしてお時間を割いていただいて、それにさっきは私を助けて下さいました。私、あかりさんになら、浩之さんをお願いできると思ってます」
あかりは冷たいものが背中を流れるのを感じた。
マルチはあかりの気持ちを知らない。あかりの内に潜む暗いささやき声を知らない。
違うよ、それは。
何度も言いかけて、思い留まる。
言えるはずがないのだ。実はあのとき、あなたを殺そうと思ってました、なんて。
あかりは沈黙した。
それを同意と取ったのか、マルチはほんの少しだけ笑顔を見せた。
「あかりさんなら、きっと浩之さんを幸せにして下さいます。私はそう信じてます。…そうですよね?」
もしそうなら、どんなにいいだろう。
あかりは心の中で嘆息した。
あかりには、浩之が炎のような憤激でもってあかりを拒絶する姿が想像できた。
何でお前が。マルチを出せ、マルチを返せ、ここから出てけ。
そう罵られる自分の姿がまぶたに浮かんだ。
「浩之ちゃんはこのこと、どう思ってるの…?」
それを聞いたとき、マルチの表情は硬くなった。
「それは…」
考え、考え、言う。
「…浩之さんなら、きっと分かって下さいますよ。大丈夫です」
「…」
あかりは黙りこくった。
それから、駄目だよ、と首を振った。
「ど、どうしてですか?」
マルチは信じられない様子だった。あかりの肩をゆさゆさと揺する。
「どうして駄目なんですか?」
「浩之ちゃんは…そういうこと、許さないと思う」
浩之はマルチを手放さない。絶対に。幼なじみである自分を切り捨ててまで守ろうとしたマルチなのだ。どんなことがあっても、マルチを手元に置こうとするだろう。
あかりの答えを聞いたとき、マルチは打ちしおれてしまった。
「そんな…」
途方に暮れた声だった。どうしたらいいのかわからない、という様子だった。
言葉を失ったマルチの手はきつく握り締められ、ぶるぶると震えていた。
この子は疲れているのかも知れない。
あかりはそう感じていた。
マルチは浩之の気持ちを受け止め続けることに、疲れ果てているのかもしれない。
悩みを相談する友達はいるのだろうか。せめて誰か他人に話すことが出来れば、少なくとも気は楽になるだろうに。
そこまで考えて、あかりの思考は、また壁に突き当たる。
この家から一歩外に出れば、マルチはただのメイドロボなのだ。心を許して話し合える友達など居るはずもない。浩之とのことを相談しても、好奇の目に晒されるだけなのだ。
可哀相なマルチちゃん…。
あかりは、マルチの手に、そっと自分の手を重ねていた。それが慰めになるのかは分からなかったけれど、マルチの小さな手をさすってやる。
「ね?」
あかりはささやきかけた。
「私で良かったら…」
「あかりさん」
突然マルチは切り出した。
「あかりさんはこのままでいいんですか?」
「え?」
「浩之さんを、私みたいなメイドロボに取られて、あかりさんは平気なんですか? 浩之さんはどんどん普通じゃなくなっていくのに、変だとは思わないんですか? どうかしようとは思わないんですか?」
思わずぎょっとマルチを見つめるあかりだった。それは自分が浩之にぶつけた言葉の裏返しだった。
マルチの問い詰めるような目に、あかりは気圧された。言葉が見付からぬまま、ぱくぱくと口を泳がせる。
聞かれていた。
マルチにあの玄関の言い争いを聞かれていたのだ。
あかりはあのとき言った自分の言葉を思い返すだけで目が眩みそうだった。
「聞いてたんだ…」
あかりは身の置き場所を無くしたような気持ちになる。
「ごめん…」
小さく謝る。
「ごめん…そういうつもりはなかったんだよ…?」
その声は紙のように細かった。
あのときのあかりは自分のことしか考えていなかった。マルチは浩之を想い、あかりを気遣って、自ら身を退こうと言っているのだ。それに比べて、自分の心は何と嫉妬にまみれ、欲望で醜く歪んでいることか。
「いいんです」
マルチは目を伏せて、かたくなに言う。
「あかりさんのおっしゃることは間違ってないんです。浩之さんの幸せを考えたら、私みたいなメイドロボは居なくなった方がいいんです。浩之さんと暮らしはじめてからずっと、そのことばかり考えてきたんです」
泣きそうに顔を歪めたマルチを見ていると、あかりは切なくなった。
自分はここまで浩之を愛せるだろうか。自分を捨ててでも、浩之の幸せを願えるだろうか。
あかりはエゴをむき出しにしていた自分が恥ずかしくなった。
気の毒なマルチ。助けて上げたい。でもどうしたら?
このままだと、マルチは浩之のもとを去ることばかり考えるようになるだろう。それが浩之のためだと信じて、ある日突然、浩之の前から姿を消すかもしれない。
違う。そんなの間違ってる。
あかりは胸が熱くなるのを感じた。黙っていられなくなった。
「そんなことないよっ!」
思わず大声を出していた。はっとあかりを見つめるマルチ。
「諦めちゃ駄目だよっ!」
あかりはマルチの肩を強くゆすった。
「私と同じ人を好きになったんだからっ! …浩之ちゃんを信じなきゃ駄目だよっ!」
そう叫んでマルチの身体を抱きしめるあかりだった。
マルチは本当に小さかった。こんな子が、浩之との愛だけを支えにして、一人で孤独に耐えてきたのだ。
あかりの胸に愛おしさが込み上げてきた。
あかりはまるで自分の子供をあやすようにマルチの身体を揺すり続けた。
「ね、考えよ? 二人で考えて、何かいい方法見つけよ?」
優しくマルチに語りかける。それは、半ば自分に向けられた言葉でもあった。
「ね?」
「あかりさん…」
マルチの目から涙がこぼれる。
「はいっ…!」
小さいけれど、はっきりと頷いた。
*****
「浩之ちゃん、いつ帰ってくるの?」
「今日は十時過ぎになるって言ってました」
「そう…」
あかりは時計を仰いだ。九時半。随分話し込んでしまった。
「そろそろ、おいとまするね?」
「え?」
「私、浩之ちゃんに嫌われちゃったから。きっと浩之ちゃん、私が来たって知ったら、怒ると思う」
あかりは寂しそうに笑った。
「お茶、ごちそうさま。美味しかったよ」
「そんな。またいらして下さい」
あかりは穏やかな顔をマルチに向けた。
「マルチちゃんは優しいんだね」
来て良かった。
あかりはそう思った。
一人でいじけているより、誰かと話せただけでも良かった。その相手がたとえ浩之を奪ったマルチだとしても。
何だかおかしいよね。いつの間にか、マルチちゃんのこと、応援してるんだもの。
お人好しあかりと志保にさんざん言われたことを思い出した。
友人だった志保は、どんなにあかりが尽くしてもなかなか振り向いてくれない浩之に憤慨して、「あかりがお人好しすぎるから、あの甲斐性なしがつけあがるのよ」と口をとがらせて言ったものだった。
お人好し…かぁ。確かにそうだよね。
くすっと苦笑してから、あかりはあっと気付いた。
心の痛みが、ほんの少し、軽くなっていた。
あかりは目を閉じる。
私、大丈夫だよ。きっと大丈夫だよ。
胸に手を当てて、自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。
失恋したことなかったから、誰かを失って泣いた経験なんて無かったから、今は辛いけれど、きっと、立ち直れるよ。みんなそうやって生きてきたんだもの。だから私もいつかは…。
そんな希望めいた思いが芽生えたそのときだった。
玄関のドアが開く音がした。
「おいマルチィ、帰ったぞー」
浩之の声が玄関から響いていくる。
「えっ!?」
驚いて飛び上がるあかり。
「ど、どうしよう、浩之ちゃん、帰って来ちゃったよ!」
浩之と顔を合わせる勇気はあかりには無い。
その気持ちはマルチにも伝わったらしい。
「あわわっ」
マルチは左右を見回し、
「あかりさん、ここに隠れて下さい!」
と、居間に隣接する和室のふすまを開けた。
あかりはあたふたと中に走り込み、ふすまを閉ざした。
*****
「お帰りなさい」
マルチの声。
「おう。ところで、誰か来てるのか?」
「えっ? あ、あの、その」
マルチは慌てた声を上げ、ふすまの向こうで聞き耳を立てているあかりをギクリとさせた。
「い、居ませんよ? 別に」
「そうか。いや、玄関に知らない靴があったから」
「あ、あれは私が買ったんです。勝手なことをしてすみません」
「謝ることはないけど、サイズ、ちょっと大きいんじゃないか?」
「そ、そうですね。明日返しに行きます」
何とか切り抜けた。
あかりはほっと安堵の溜息。
「あーあ、今日は疲れた」
ソファのスプリングが、ぎしっと音を立てた。
「お風呂はどうですか? すぐ沸かします」
「まぁ、それもいいけど、さ」
「…え?」
「来いよ」
「で、でも」
「いいから」
スプリングがまた軋んだ。
浩之の重い足音が居間を横切っていく。
「やめて下さい、今はダメです」
「何言ってんだよ。構わないだろ? マルチ…」
「そ、そんな」
「どうしたんだよ。変なやつだな」
「あ、思い出しました! お風呂の掃除しないと」
マルチの足音がトタタと鳴る。が、居間の途中で、それは止む。
「捕まえたっと!」
「止めて下さい、ご主人様」
「ご主人様? おいマルチ。その呼び方は止めろっていったろ?」
「あ、す、すみません」
「いーや、駄目だ。許さない」
「止めてくだ…」
マルチの言葉が途切れた。
一体何が起こっているのだろう。
あかりはたまらずふすまに指を掛けた。
見るな、見るなと心の中で誰かが悲鳴を上げている。
だが好奇心が勝ってしまった。あかりはほんの少しだけ隙間を開け、そこから居間を覗いた。
その瞬間、あかりは激しい衝撃を受けた。
浩之がマルチを抱いてキスをしていた。
最初はもがいていたマルチも、次第におとなしくなっていく。
浩之はマルチを軽々抱き上げ、ソファに運んだ。
あかりは瞬き一つせず、その光景を見続ける。
知らないうちになまあたたかいものが目から溢れ、頬に筋を作っていた。
マルチが小声で何か言っている。
浩之は笑った。
笑いながらマルチの言葉の途中でまたキス。唇を合わせたままマルチの身体にのしかかっていく。
浩之の下にいるマルチが、手を突っ張って弱々しく抵抗する。浩之が耳元でささやき、マルチの服に手をかけ始めた。
マルチは哀しそうに、チラとあかりの居る和室の方を窺った。
あかりは見た。
マルチの表情には、深い同情の色があった。
浩之と結ばれなかったあかりを憐れんでいるようだった。
*****
ふすまが音もなく開いた。
異様な気配に振り向いた浩之は、そこに突っ立つあかりの姿を認め、驚きに顔を歪ませた。
「お、お前、なんで」
返事はない。
ゆらり。
あかりが幽霊のように足を踏み出す。
ゆらり。
焦点を失った瞳からは、白い涙の筋が走っていた。
浩之とマルチの上を、あかりの視線が撫でていく。
何も見えないように、あかりは、ふらつく足取りで居間を一歩、一歩横切っていく。
「おい…」
正気じゃない。
浩之は背筋にぞっとしたものを覚える。
マルチから離れ、あかりに近づいた。
あかりの前に立ちふさがるが、反応しない。
まるで柱か何かを避けるように、浩之の前でふらっと方向を変えた。そして、ゆらり、夢遊状態のようにまた一歩。
「おい、あかりっ」
激しく肩を揺すった。
そのとき初めてあかりは浩之に気付いたようだった。
目の前の浩之を、あかりの瞳が見つめる。
急に焦点が合った。
「…!」
顔を背けるあかり。浩之を突き飛ばし、居間から走り出ていった。玄関のドアが開く音がして、静かになった。
「お、おい…」
浩之は茫然と見送る。
「ひ、ひどいです! 止めてって言ったのに…!」
ぐずぐず泣き始めたマルチ。
それを見ながら浩之は溜息をついた。
何だってんだ?
大体、何でうちにあかりが居るんだ?
マルチの様子からすると、あかりと何か話し合っていたようだが…。
しばらく考えていた浩之だったが、わからん、と匙を投げた。
あかりを追いかけるべきかちょっと迷ったが、追いかけたところで何も言えないのだ。
まぁあかりの家は近いし大丈夫だろう、と割り切る。あかりと顔を合わせることに、気まずさを感じている浩之であった。
開けっ放し状態の居間のドアを閉めようとして、玄関をふと見ると、玄関のドアも開いたままだった。
あーあ。
肩をすくめた浩之は、ふと何気なく玄関の床に目を落とし、ぎょっと凍り付いた。
「おいマルチ!」
顔をこすっていたマルチが赤い目を上げた。
浩之はさっきマルチが買ったという靴を掲げて見せた。
「マルチ、これ、本当にお前の靴か?!」
「…じ、実はそれは…」
「あかりの、なんだな!?」
「は、はい」
それを聞いた浩之は真っ青になった。
靴が必要なのは、生者だけだからだった。
浩之はあかりを追って、もの凄い勢いで家を飛び出していった。
*****
死にたい。
走りながら思っていた。
靴下に小石が食い込んで痛かった。何処か切ってしまったのかも知れなかった。
ああ、これは罰かも知れない。あのとき、神様はちゃんと見てたんだ。私がマルチちゃんを殺そうと思ったこと、怒ってるんだ。
だから、あんなひどいものを見せつけた。
ごめんなさい神様。私、悪い子です。ほんとにごめんなさい。
気が付くと、幹線道路の横断歩道に立っていた。夕方、マルチを突き飛ばそうとしたあの横断歩道だった。
運命は皮肉屋だ。
あかりは思った。
人を殺そうと思ったのに、殺すのが自分自身だなんて。それも、同じ場所で、同じ死に方なんて。
でも、それもいいかも知れない。
神様。わたし、もう生きていく自信がありません。良い機会です。死なせて下さい。
あかりは車の流れを目で追った。
飛び込む相手を探していた。
出来れば、夕方見たような大きなダンプカーがいい。押し潰されて、粉々になってこの世から消える。神岸あかりという形が残らないくらい、嫌悪感で目を背けたくなるような、そんな死に方が似合ってる。
あかりは目を閉じた。
そうだ。これは罰だ…罰なのだから。
サーチライトのようなまばゆいヘッドライトが遠くから伸びてきて、あかりの横顔を照らし出した。
トラックだ。マルチを突き飛ばそうとしたダンプカーと同じくらい大きい。
赤に青にきらびやかな電飾を閃かせ、轟音を立ててやってくる。
あれにしよう。
そうあかりは思った。
これで幕切れだね。
あかりは光に目を細めた。
さよなら、浩之ちゃん。お父さん、お母さん、ごめんなさい。
「おい! あかり!」
背後の声が引き留めた。
振り返る。
浩之が居た。肩で息をつきながら立っていた。
あかりの表情を見て血相を変える。死に物狂いで走ってくる。
早く飛び出さなきゃ。
急に足が震えだした。
トラックがどんどん近づいてくる。あかりの横顔がまばゆく染まる。
死ななきゃ。死ななきゃ…!
一歩踏み出す。
「あかりッ!」
浩之の必死の叫び。
昼間、マルチを引き戻したときの光景が、目の前に開けた。
マルチが持っていた買い物袋が道路に落ちて、ダンプカーに轢かれた。袋に入っていた卵が砕けて、路面に中味を広げていた。
自分もああなるのだ。頭が、胴が、手が、足が、分厚いタイヤによって容赦なく押し潰される。路面にべっとり赤い中味が擦り伸ばされるのだ。
その瞬間訪れるのは恐らく、ジューサーに手を突っ込むより遙かに大きな激痛。
ジューサー?
どくんどくんと鼓動が高鳴る。
耳朶に台所で唸りを上げるジューサーの騒音が大きく響く。
『ジューサーを動かすときは、絶対にふたを開けちゃ駄目よ』と母親の声。そうだ、何も残らない。ジューサーの底で回転するあのぎらぎら光るカッターが、突っ込まれたものを刻む。粉々に、どろどろに。
ふたを開けて、ジューサーの中に手を突っ込む光景を想像していた。底に触れた瞬間、指が飛ぶ。指のあった場所から血液が流れ出し、渦を巻いてジューサー内を赤く染め上げる。ころんころんと刻まれた指が回る。ガラスをコツコツ叩くのは、指先から剥がれた桃色の爪。
『おい、なにぐずぐずしてる?』
誰かがあかりの肩を押してささやく。
『何だ、まだ指だけじゃないか。まだ手首も腕も残ってるじゃないか。ためらってないでどんどん行こう。腕が済んだら次は足と顔だ。なぁに、お前がこれからやろうとしていることに比べれば、大したことじゃない』
恐い…
もう一歩踏み出そうとする足が竦んだ。ヘッドライトの巨大な光輪が間近に迫っていた。
恐いっ…!
その瞬間、浩之の手があかりの肩を掴んだ。
*****
「わたし、死ぬよ。たぶん、そうする」
荒い息を吐く浩之を前に、あかりはそうぽつりと言った。
「お前、何言ってんだよ。しっかりしろよ!」
浩之に揺さぶられても、あかりは生気無く首を振るだけだった。
「さっきわかったよ。浩之ちゃんを取られちゃったんだなって。もう、私の方は振り向いてくれないんだなって」
綺麗事は沢山だ。
あかりは心の中で呟く。
立ち直れるなんて嘘だ。そんなことあるわけない。
マルチをソファに押し倒し、キスしていた浩之の姿を思い出すそのたびに、ナイフでえぐられたような痛みが心に走る。痛みの余り、気が狂いそうになる。
一体何処ですれ違ってしまったのだろう?
浩之はあかりの想いに気付いていたはずだ。あかりのことが嫌いならもっと態度に現れていた。
だからずっと信じていたのだ。いつかはきっと浩之ちゃんと…と。
あかりは臍を噛む。
こんな結末になるなら、もっと積極的になるべきだった。マルチに浩之を取られる前に。
しかし今となっては手遅れだった。
「ねぇどうしよう? もう…」
あかりはか細くささやく。
すがるような響きがそこにはあった。
「…生きてく自信がないよ…」
傍らの浩之は何も言わない。何も言えないのだとあかりには分かっていた。
浩之の手があかりの足に触れた。黙ったまま、靴下に付いた土を払い、靴を履かせてくれる。その優しさがあかりを余計に傷つける。
ああ、何故この人は私の側にいてくれないのだろう?
あかりは惨めな思いで一杯になり、それをただただ眺めていた。
しばらくして、浩之がやっと口を開いた。
「送るから、帰ろう? な?」
「帰りたくないよ!」
待ちかまえていたように、あかりは激しく拒絶した。
浩之の言葉を聞くと、無性に腹が立った。
「もう、どうでもいいもん!」
「あかり…」
「浩之ちゃんには関係ないでしょ! ほっといて!」
地面を向いたまま叫んだ。
「あのなぁ」
浩之は頭をかいた。
「マルチのこと、お前に何も言わなかったのは謝る。悪かった。とにかく家まで送るから、な?」
「いやだよっ!」
ぶんぶんと頭を振った。
浩之はあかりの気持ちを知っていたはずだ。
なのに何も言わなかった。
何も言わずに居れば、うまくやり過ごせると思っていたのだろう。
ひどいよ。ひどすぎるよ。私、そんな便利な女じゃない。
涙が、悔し涙が滲んできた。
「あかり!」
「私、もう生きててもしょうがないよ。浩之ちゃん取られちゃったもの。私の大事な人が他の人に取られちゃったんだよ!? 明日から、どうやって生きていけばいいの? 教えてよ、浩之ちゃん!」
あかりは言い募る。
こんなに好きなのに。大好きなのに。
なのに、どうして私を見てくれないの?
あれだけ尽くしたのに。愛していたのに。
ずっと浩之ちゃんだけ見つめ続けてきたのに…!
「…」
「そうよ…ボロボロになっても別にいいもん…いつかきっと死んでやるんだからっ」
上目遣いに睨み上げたそのとき、パンッ! あかりの頬が音を立てた。
浩之が怒鳴る。
「ばか! お前、何言ってんだよ。まだ人生始まったばかりで、悟ったこといってんじゃねぇよ!」
「ぶった…浩之ちゃんぶった! 浩之ちゃんにそんなことする権利無いよっ!」
頬を押さえ、怒りをたぎらせるあかり。今まで見たことのないあかりの憎悪の表情に、浩之は怯むものを感じた。しかしここで退けない。
「おい待てったらっ」
振り払おうとするあかりの手を掴み続ける浩之。暴れるあかりを必死で押さえ込もうとする。
「くそ! あかり、落ち着け!」
「離してよっ!」
そう言いざま、あかりは自分を捕らえた浩之の手に噛み付いた。
浩之が憎かった。
早く手を離してよ。私を自由にしてよ。
そしたら死んでやる。浩之ちゃんの前で死んでやる。
ぐっ、と浩之はのどを鳴らした。が、耐える。耐え続ける。
「あ、あかり」
浩之は必死だった。
「絶対、離さないからな」
ぎっぎっと骨が鳴る音がした。
苦痛をかみ殺す浩之。
「あかり、し、死ぬな…っ」
その言葉が苦悶の呻きに変わったのを聞いた瞬間、あかりは我に返った。
「ご、ごめ…!」
口ごもる。
浩之の手に、自分の歯形がくっきり付いていた。紫色に腫れ上がり始めていた。
どうしよう。
泣きそうになった。
浩之ちゃんを傷つけちゃった。
おろおろとハンカチを取り出し、傷に押し当てる。じわっと血の斑点が半弧状に浮かび上がった。
気が抜けたように、浩之は腰からどっかと落ちる。
引きずられてあかりも地面に座り込んだ。
「ごめん…ごめんね浩之ちゃん」
あかりは涙ぐむ。
「ごめんね…」
「…いいから、もう泣くな。ったく」
浩之は一言もあかりを責めなかった。
*****
腰を降ろしたまま、二人、行き交う車の光を眺めていた。
自然に寄り添っていた。
あかりは浩之の胸にそっともたれた。
浩之は何も言わない。何も言わず、あかりのしたいままに任せている。
昔に戻ったみたい。
あかりは思った。
近づいては過ぎ去る車のライトが、宝石のように綺麗だった。
中学校の修学旅行で京都に行ったとき、浩之とこうやって道ばたに座って、光の流れを見つめていたことを思い出した。
あの日、あかりはグループの仲間とはぐれて、半泣き状態だった。そこに浩之がやってきた。浩之もグループの仲間とはぐれたらしかったが、全く動じていない様子だった。土産物の入った手提げ袋を手に、ぶらぶらと店の軒先を覗き回っていた。
『浩之ちゃん!』
思わず嬉しくなって、浩之の名を呼んでいた。
浩之が顔をしかめるのが分かった。中学校時代の浩之は、何かと付きまとうあかりが嫌いだったらしく、面と向かっては言わないものの、あかりを徹底して避けていた。このときも、浩之はあかりの顔を見て急に方向を変え、何処かに行こうとした。
ここで浩之に去られたら、本当に迷子になってしまう。
そのときのあかりは本当に追い詰められた心境で、お下げ髪を揺らしながら、浩之の背中を必死で追い続けた。
『浩之ちゃん! 待って、待ってっ!』
古びた寺院の崩れかけた土壁の前で、とうとう浩之を捕まえた。寂しい場所だった。砂利道の左右には鬱蒼と竹が生い茂り、風と共にざわっざわっと硬い葉擦れの音を鳴り響かせていた。
『なんだよ』
『一緒に連れてって』
『いやだ』
『浩之ちゃんと居ないと、私、迷子になっちゃうよ』
浩之はぷいと横を向いた。
それが悲しくて、あかりは泣いてしまった。このまま竹林の暗いざわめきの中に一人置き去られるのかと思うと、涙が出て仕方なかった。
ぐしぐしと泣きじゃくった後、ようやく顔を上げたあかりはびっくりした。浩之は居た。途方に暮れた顔で、あかりを見つめていた。
視線が合うと、慌てたようにそっぽを向いた。
あかりは顔を擦りながら浩之に近づき、子供の頃よくしたように、浩之の制服の端を握った。
連れてって。
それはいつもあかりがしていた意思表示だった。
浩之は何も言わなかった。手を離せとは言わなかった。
そのまま歩き出した。
ああ、これで帰れる。
あかりが安堵しかけたそのとき、浩之が聞いてきた。
『あかり、俺も迷子だって知ってた?』
浩之の声もちょっと不安そうで、あかりはへたり込みそうになった。
二人はそれから京都の街を探し回った。ところが似たような通りが多くて、自分たちの宿が見つからない。宿の名前を挙げて人に訊ねても、知らないという答えが返るばかりだった。
最後にはあかりが疲労で歩けなくなり、道ばたにしゃがみ込んでしまった。
『浩之ちゃん、疲れちゃったよ』
『少し休んだら交番に行こうか』
『うん…』
浩之はすまなそうだった。最初に交番に行こうと言ったのはあかりなのだ。それを、浩之は、恥ずかしい、自分たちで探そう、と突っぱねた。浩之は小さい頃から意地っ張りだった。
浩之も疲れていたらしく、あかりの隣に腰を降ろした。
二人して、通りを走る車のライトを眺めていた。
『あかり、ごめんな』
『ううん、今日は浩之ちゃんと一緒にいっぱい歩けて楽しかったよ』
あかりの言葉を聞いたときの浩之は、何とも複雑な表情だった。
また、ぼそっと、ごめん、と言った。
その『ごめん』は、その日一日、あかりを連れ回したことへの謝罪とは、少し響きが違うように思えた。
あかりは不思議と浩之に甘えたくなり、浩之の肩に頬を寄せていた。そんなあかりを浩之は嫌がらなかった。あかりという存在を、完全に受けて入れてくれたように思えた。
いまここで好きと言えば、応えてくれるのかもしれない。
浩之の温もりを感じながら、あかりはそんな夢見がちな想いを抱いていた。
実際には何も言えなかったけれど。
その後、寄り添って座り込んでいる二人を、巡回中の警官が見つけた。その親切な警官は、二人を交番に連れていくと、旅館の電話番号を調べて、問い合わせの電話を掛けてくれた。
最後にパトカーによる送迎というおまけが付き、宿に無事着いた二人は、先生に散々叱られた…。
京都の修学旅行は散々だったけれど、今となっては良い思い出だった。
あかりは京都のときと同じ距離の近さを今の浩之に感じていた。
あの日のように浩之に甘えたい。もう一度だけ甘えてみたい。
そう思っていた。
今の浩之なら、それを許してくれるように思えた。
浩之は必死にあかりを追ってくれた。
あかりの肩には、浩之が掴んだ感覚が強く残っている。浩之が引き留めてくれなければ、あかりは、衝動のまま、身を投げていたかも知れない。
それを考えたとき、先ほど踏みだそうとした死の淵の恐怖が、あかりの背中に甦った。急にまた身体が震えだした。
出来ることなら、このままずっと浩之にしがみついていたい。
しかしそれは叶わぬ望みだった。
今日という日が終われば、浩之はあかりの傍らから消えてしまう。あかりはひとりぼっちで生きて行かねばならないのだ。
胸が締め付けられた。
あかりにとって、浩之の居ない人生は、何の意味もない、虚空のようなものだった。余りの虚しさにまた死のうとするかも知れなかった。
今更ながらに、あかりは失ったもののの大きさを思い返した。人生の多くを費やして愛した人が、あかりという舞台の上で、退場のときを迎えようとしていた。
アンコールは、ない。
そんなのいやだ。あかりは心の中で首を振った。いやだ、いやだ、いやだ。
だが、あかりの願いとは関係なく、終幕のときは刻一刻と近づいてくる。
さぁ、帰ろうか。浩之がそう切り出すのがたまらなく恐かった。そのセリフを言われたら、そのとき見せるだろう浩之の優しさにあかりは抵抗できなくて、うん、と頷いてしまうだろう。
ああ、せめて。
あかりは目を伏せた。
思い出が欲しい。ほんの短い時間でいい、浩之が自分と真剣に向き合ってくれたという思い出が欲しい。つらいとき、すがりつける思い出が欲しい。
これからの人生で、自分を勇気づけ、励ましてくれる何かが、欲しい…。
「ね、浩之ちゃん」
「ん?」
聞き返す浩之の声は優しい。
「お願いがあるの」
「なんだ? 言ってみ?」
あかりはためらった後、ようやく決心した。
「一緒に居て。今夜だけ」
声がかすれそうになる。
「一度でいいから抱いて。そしたら、浩之ちゃんのこと忘れる。忘れられるから」
「お前…」
浩之の目が驚きに見開かれる。
出来ねぇよ、と言いかける浩之をおさえるようにあかりは言った。
「何か無いと私駄目なの。思い出でもいいの。頼るものが無いと、私、これから先どうしたらいいのか分からないの。また死んじゃいたくなるかも知れないの。恐いの。ね、浩之ちゃん、助けてよ。お願いだから、今日だけでいいから…」
最後は哀願に変わっていた。
「死にたくないよ。でも、このままだと、駄目になっちゃうよ…」
「…」
浩之はむっつり黙り込んだ。
何か考えているようだった。
あかりの顔を見つめ、地面を見つめ、思い直したように顔を上げてはあかりに向き直り、あかりの表情の中に苦しみと救いを求める色を見て言葉を失い…そんなことを何度も繰り返していた。
それからゆっくりと立ち上がる。
変なことを言ってしまった。
あかりは突然恥ずかしさをおぼえる。
浩之ちゃん、軽蔑したかも。
「浩之ちゃん、あの」
言いかけるあかりを、浩之は軽く制した。
「お前、財布持ってる?」
「うん…。でもどうして?」
「あそこ」
浩之が親指で差す先には、ホテルの看板が眩しく光っていた。
「えっ…!?」
「後で返すから。取り敢えず貸してくれ」
浩之ちゃんが受け入れてくれた。
そのことが、あかりにはなかなか信じられない。
見つめ上げるあかりの髪を、浩之はぽんぽんと叩いた。それに促されるように、慌てて立ち上がるあかり。
無言で浩之が歩き出す。それを追い、浩之の腕に自分の腕をからめた。浩之はちらっとあかりを見ただけで、腕を振り払いはしなかった。
「お前とはそういう関係になりたくなかったんだけどな…」
浩之の呟きは小さかったが、あかりには聞こえた。
でも聞こえないふりをした。
浩之の腕にぎゅっとしがみつくあかりだった。
【続く】
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