AfterTheWaltz

 

(LostWaltz 第8話)

 

Ver.1.01

 

制作: GRNVKA

 

 

 

 それは、寒さの増し始めた、ある冬の日の出来事だった。
 東京近郊の、ごくありふれた一軒の家に、手紙が届いた。
 ベルの音を聞いたのだろう。
 まもなく玄関ドアが開き、HM−12型のメイドロボが姿を現した。
 そのロボットは配達員から封筒を受け取ると、丁寧にお辞儀をして、家に戻った。



 居間のテーブルに花を飾っていたあかりは、マルチから手紙を渡され、不思議そうに首を傾げた。
 それから、何気ない風に、自分のおさげに編んだ髪にふれた。髪先をいじるその指には、浩之から贈られた指輪が、何処か所在なげに光っていた。
 旅行の後、あかりは、思うところがあったのか、髪をリボンで束ねるのを止め、無垢な子供の頃よくしていた髪型に…おさげに戻していた。

 あかりが手にした封筒は少し分厚かった。
 金文字でアルヴィラ・ホテルと書かれたそのおもてには『藤田あかり様』とあり、中にはもう一通、別の封筒が入っていた。

 黄色いリボンの似合う赤毛のお嬢さんへ

 親展と赤く書かれた下には、そんな少し変わった言い回しの宛名があった。
 その封筒に収められていたのは、PARISの文字にWの洒落たロゴがあしらわれた舶来風の便箋で、澄んだブルーの筆跡がしたためられていた。

 それを読み始めたあかりは、急に警戒の色を浮かべた。
 それから複雑な表情になり、何か考え込む風を見せた。
 あかりは居間を出て玄関の隅に行くと、そこで続きを読みだした。

 いつしか瞬きを忘れ、食い入るように文字を辿っていたあかりを我に返らせたのは、自分自身の鼻をすする音だった。

 あかりの瞳は潤みを帯びていた。
 あかりは熱くなった目の下をそっと指で撫で付けた後、居間から聞こえてくるマルチのハミングに気付いて、小さく微笑んだ。

 そのときだった。

 玄関の置物がコトコトと鳴った。
 微かに空気が震え始め、その震えは次第に大きくなり、重々しい地響きが聞こえだした。
 ダンプカーとおぼしき車両が、うなりを上げて、家の前を通り過ぎていった。
 あかりは弾かれたように振り向いた。
 玄関ドアを見つめるその顔はひきつっていた。
 それは、車の音に驚いてのものではなかった。
 誰かから声を掛けられたようでもあり、何かを思い出したようでもあり、過去に犯した罪を咎められたもののようにも見えた。
 明るく華やぎかけていたあかりの表情はたちまち翳り、沈痛な色に塗り込められてしまった。
 あかりは重い溜息をつき、手紙を読むのを途中で止めた。
 うなだれたまま、とぼとぼと居間に戻ろうとした。
 読みかけの手紙を丁寧に畳み、封筒に入れようとして、ふと気付いた。
 封筒には他にも何かが同封されていた。それはクリーム色のカードで、二枚入っていた。
 そのカードの意味を掴みかね、あかりはまた手紙を開いた。

 手紙を持つ手が細かく震えだした。

 おしまいまで読み切ったあかりは、再びカードに目を落とした。
 カードの終わりには、どちらにも、送り主の美しい署名が、空のように大きく青く書き込まれていた。
 あかりは涙をこらえきれなくなった。
 そこに喜びはなかった。
 泣きながら何度もかぶりを振った。自分には相応しくない、というように。
 あかりの泣き声を聞きつけて、居間に居たマルチが飛んできた。
 涙に暮れるあかりの腕をゆさゆさ揺すったり、おろおろとあかりのまわりを回った。

 あかりがその手紙に何を思ったのか…それは分からない。

 名前を呼ばれ、マルチは顔を上げた。
 長いためらいの後、あかりはゆっくりと話し始めた。
 そのときのあかりは、内心に潜む何かの重圧に押し潰された顔をしていた。
 深い悲しみと後悔に満ちたあかりの告白に、マルチは呆然としたが、すぐ我に返り、激しく首を振った。
 あかりが苦しそうに顔を歪め、やっとのことで口にしたその言葉を、マルチは全く信じようとしなかった。かつて自分が助けられた横断歩道の方角を反射的に見、またあかりに目を戻し、それは違う、それは違うと全身を震わせ、否定し続けた。
 指輪を譲ろうとするあかりを押しとどめたマルチは、あかりの手を取り、心から信じていると言うように、そこに頬ずりした。
 あかりの目から大粒の涙がこぼれた。
 あかりはマルチの足下にくずおれ、大声で泣いた。
 マルチはそんなあかりの髪を優しく撫で続けた。



 あかりの嗚咽が収まってきた頃、マルチはそっとあかりのそばを離れた。
 誰かを捜すかのように、天井を仰いだ。
 その瞳に涙が浮かんだ。
 それは名残を惜しむようでもあり、自分という存在を…無知に目隠しされるまま誰かを苦しめ続けたことを…悔やむ者の涙にも見えた。
 その苦痛に満ちた表情が、ある種の悲壮な決意に塗り替えられるまで、そう時間はかからなかった。
 マルチは顔を袖でごしごし拭った後、にっこりと笑い、あかりに向かってぺこりと頭を下げた。
 そのまま静かに出ていこうとするマルチの手を、あかりが掴んだ。
 両肩を捕らえ、問いつめるあかりだった。
 マルチはうつむいていた。
 ぽつりぽつりとその口から出た言葉に、あかりは驚愕した。
 言い終えるとマルチはもがき始め、あかりの腕から逃れ出た。
 あかりは慌てて、素足のまま飛び出していくマルチを追った。
 と、サンダルに通そうとした足がもつれ、あかりは尻餅を付いた。
 あかりの悲鳴に振り返ったマルチは真っ青になった。
 あかりのそばに駆け戻ったマルチに、あかりは強く抱きついた。二度と心の迷いに耳を貸すまい、もう誰も失うまいとするかのように、マルチの小さな身体にしっかりしがみついて離れなかった。
 あかりはマルチの手を取ると、自分のお腹に導いた。
 自分の指も添えるように絡めて、未来の眠るその場所を、一緒に撫で出した。
 そのとき短く耳打ちされた言葉に、マルチははっとあかりを見上げた。あかりがその言葉を繰り返すたび、あかりのお腹に指先が触れるたび、碧の瞳が揺れ動いた。
 あかりに促され、マルチはゆっくりとあかりの身体に横顔を押し当てた。

 その目が見開かれた。

 マルチの耳に届いたのは美しい二重奏だった。
 あかりの鼓動に重なり、追いかけるようにして、新しい心臓の音が、はっきりと脈打っていた。
 その確かな拍動は…誘いかけるように踏みならされるそのワルツのステップは…まさしく、未来からまっすぐ駆け寄ってくる足音だった。
 その響きに聞き入っていたマルチの目は、やがて、遠い何かを想うものに変わり…そこで心震わせる誰かに出会ったのだろうか、光るものがほろりと頬を伝った。
 あかりは玄関に腰掛けると、しゃくり上げるマルチを優しく抱き寄せた。あかりの頬も濡れていた。
 二人はもう何も言わず、ただ身を寄せ合っていた。



 その夜。

 浩之が帰宅したとき、誰も迎えに出てこなかった。
 暫く待ってもう一度声を掛けたが同じだった。
 浩之は胸騒ぎを覚えた。
 慌てて居間のドアを開けたとき、湯気に似た温かな空気が彼を包み込み、様々な料理の匂いが鼻をくすぐった。
 居間のテーブルには真っ白なテーブルクロスが掛けられ、その上に沢山の皿が並べられていた。それらに取り巻かれるようにして置かれた花瓶には、季節はずれのすずらんの花が生けられていた。
 その向こうに、あかりとマルチが立っていた。
 何故か二人とも、目の下がうっすら赤く腫れていた。

 何があった?

 浩之は出来るだけ穏やかに訊ねた。浩之は、新婚旅行の後、時折沈んだ表情を見せるようになったあかりのことを気に掛けていた。

 目にごみが入ったんです。

 マルチは言い訳した後、急いで付け足した。

 でも大丈夫。涙を一杯流しましたから。

 そう言うと、マルチはあかりと目を見交わし、はにかんだ表情で微笑み合った。
 二人は姉妹のように睦まじく寄り添い、まるで互いを放すまいとするかのように、しっかりと手を取り合っていた。そして二人の口もとは、何もかも許し合い、大切な秘密を共有し合った親友同士のように、優しくほころんでいた。
 そのときになって浩之はようやく気付いた。
 あかりの髪型が元に戻っていた。すずらんの慎ましやかなつぼみ越しに見えるその赤い髪は、以前と同じく、黄色いリボンでまとめられていた。
 一呼吸間を置いて、あかりが口を開いた。

 お帰り、浩之ちゃん。
 今日はね、ご馳走だよ?

 その言葉は、心なしかいつもより明るく、いつもより安らぎに満ちているように思えた。



 黄色いリボンの似合う赤毛のお嬢さんへ

 突然このような手紙を差し上げたことをお許し下さい。
 先日、嘉手納で教会をお貸しした、牧師のノーマンです。
 あの後、あなた方がどうなったか、大変心配になりました。
 失礼な振る舞いとは思いましたが、あなた方が宿泊したホテルを探させていただきました。
 ホテルの担当の方に無理にお願いして、この手紙を転送していただいた次第です。

 私は、今でも、あのときのことを謝罪したい気持ちでいっぱいです。
 心ない言葉で、あなたの大切な友人であるあのお嬢さんを傷つけてしまいました。
 あのお嬢さんが私の前で悲しみをこらえていたときのことを思うと、胸が痛みます。
 神に仕える身でありながら、何と残酷なことを言ったものかと後悔しております。
 もう一度、心からお詫びします。
 本当に申し訳ありませんでした。

 あのお二人はお変わりありませんか。
 ふくれっ面をしていた彼は、どうでしょうか。
 それにあのお嬢さん、彼女は今、どうしているでしょうか。
 教会でお話を伺っているとき、あのお二人は、周囲の無理解に疲れ果てているように見えました。その後、どうなったのでしょう? 笑顔で暮らしておられるでしょうか?

 お二人の運命には、同情を禁じ得ません。
 人形として振る舞い、また、そのように扱うことに甘んじて、いっそ楽になってしまいたいと考えたとしても、無理からぬことと思います。
 ただ、これだけは申し上げたい。
 今でも鮮明に思い浮かべることが出来ますが、結婚式の後、あのお嬢さんの見せた笑顔は、胸がすくほど明るく、まこと魅力的でありました。
 あのお嬢さんは普通とは違うかも知れませんが、だからといって、笑顔を奪い去られて良いわけがありません。
 彼女にもまた、幸せになる権利がある筈なのです。
 確かに、はじめは、あのお嬢さんの笑顔に警戒を抱く人も居るでしょう。
 あざける人も中には居るかも知れません。
 ときには愚かな仕打ちを受けることもあるやも知れません。
 ですが、目の前で微笑み、親しみを込めて両手を広げた誰かを打ち据えることは、それが何者であるにせよ、自らの良心を打ち据えるのと同じことです。
 この世の人はみな、良心を持っているのです。
 どれほど愚かな行いを為す人であれ、良心は心の裡に眠り、その目覚めのときを待っているのです。
 それは理想だ、という反論もあるでしょう。
 人を信じる余り、ひどく傷ついて、取り返しのつかないことになるのではないか、と。
 その可能性があることは否定しません。
 ですが、傷つけられた事実に逃げ込んで心の扉を閉ざし、声を潜めて泣いていることが、より良い未来をもたらすとは、私にはとうてい思えません。
 あのお嬢さんの笑顔に触れた人は、最初こそ戸惑うかも知れません。
 しかし、毎日続ければ変わるはずです。
 あのお嬢さんのありのままの姿を目の当たりにした彼らは、いつかきっと、こう思うようになるのではないでしょうか。
 何故この人は皆と違う扱いを受けるのだろう。
 何故この人には、恋が許されていないのだろう、と。
 そうした疑問が一つの流れになって、あのお嬢さんを支える力になるでしょう。
 いや、そうならないわけがないのです。
 あのお嬢さんが出逢った彼も、そして赤毛のお嬢さん、あなたも、あのお嬢さんを分け隔てなく愛しているのですから。
 その事実を奇跡という名で貶めたくはない。
 人間の心はもっと力強く、しなやかで、包容力に溢れているはずです。
 あのお嬢さんに貼られたレッテルに左右されず、その裏側に隠れた真実を見通す力があるはずなのです。
 人々はただ知らないだけ。無知のささやきに心の位置を見失い、本当になすべきことを忘れているだけです。
 より深め合えば、人は変わる。そう、日々を共に過ごせば、言葉を交わせば、笑い合えば、手を握り合えば、抱きしめ合えば、きっと変わる。
 叡智を閉ざす闇の帳を抜け、古い世界の地平線を飛び越えて、輝かしい未来へと羽ばたいて行ける。
 世界は変わるのです。
 どんなに些細に思えることでも、それを積み重ねれば、世界は変わっていけるのです。

 赤毛のお嬢さん。あなたにもお伝えしたいことがあります。
 私はあなたと出会えたことを大変嬉しく思っています。
 歳のせいにして忘れていた色々なことを、呼び覚ますことが出来ましたから。
 私の部屋にあった写真のことを覚えておいででしょうか。
 あれは四十年以上前に撮ったものです。
 私の祖国にとっては、余り良い内容ではありません。
 というのも、お恥ずかしい話ですが、私の祖国には、肌の色の違いから他人を一段低く見下す習慣が残っていたのです。
 当時、黒人の権利の在りかを巡って、国中が紛糾しました。
 彼らの権利を実現するための運動が湧き起こり、私もその運動に参加していました。
 一般にそれは黒人公民権運動と呼ばれるものですが、詳細については、歴史の本を御覧になって下さい。

 あの運動が大成功だったと自賛するつもりはありません。
 運動の成果に不満を持つ人は沢山居ます。
 権利という名のコップが満たされないと嘆く人も。
 ただ言えることは、あの運動は決して無駄ではなかった。
 あの運動は人々の心にあかりをともしました。
 心の暗がりに押し込めて目を背けてきた差別を浮き上がらせたのです。
 それをきっかけにして、多くの人が差別について考え、自らの心と向き合うことを始めました。
 何が正しいのか、何をすべきなのか、と。
 お嬢さん。私は、あなたの中にも、それと同じあかりを感じます。
 そのあかりは今も光を放っているでしょうか。
 迷いがあなたのあかりを吹き弱めていないでしょうか。
 困難を前にした人は、時に信ずることを忘れ、苦しみを避けようとします。
 ほんの少しの迷いが迷いを呼び、自らをより小さき者、卑しき者とみなして、それまで積み重ねてきた全てを打ち捨てて、逃げ出してしまいたいと思ってしまうときもあるでしょう。
 しかしそれは正しくない。
 どんなに長い冬でも、いつかは春が訪れます。
 どのような糸のもつれであっても、根気よく続ければ、いつかはほどくことが出来るのです。
 あなたが立ち会った現実は、それはそれは厳しく、敵意に満ちて見えるかも知れません。
 確かに社会は大きく、進路を容易に変え難い巨艦のようなものですが、舵をほんの僅かでも傾け続ければ、いつかは、行く先を変えるものです。
 ですからお嬢さん、悲観なさらずに。
 あなたの中にともった希望のあかりを疑わないで。
 あなたの内に在る、本当に美しい良心のあかりを信じ続けて下さい。
 あのお嬢さんを照らしているのは、他ならぬあなたです。
 彼女はあなたの優しさに、深く深く感謝していることと思います。
 そしてそれだけでなく、あなたのあかりは、いつの日か、多くの人の心にも、同じあかりを灯すでしょう。
 あなたの傍らで安らぐ彼女が見せる、あの屈託無い、朗らかな笑顔は、人々の心を揺り覚まさずにはおかないでしょうから。
 自分たちも同じ笑顔に出会いたいと願い、彼女を冷視する現実に思い至り、問題の在処について考え始めるに違いありません。
 どうか、人々に絶望しないで。
 彼らの良心の目覚めを諦めないでください。
 きっと、あのお嬢さんと対等に手を取り合い、語り合える時代が来ます。
 街角で堂々と恋を語り合える、そんな時代が必ずやってきます。
 その日が来ることを、信じて下さい。

 そうそう、大事な用件を書き忘れるところでした。
 当教会では、結婚した証として、結婚証書を発行しております。
 法的に効力のあるものではありませんが、皆さまには喜んでいただいております。
 証書を二通同封致しますので、一通はあのお二人に、あなたから渡して差し上げてください。

 さて、残りのもう一通ですが、これは、大切な友人のために、一生懸命尽くしておられるある方へ、尊敬の念を込めて同封いたしました。
 もしもお嬢さん、あなたの町でその方と出会われたなら、是非お渡し願います。
 それと、こうお伝えください。
 あなたと、あなたが守ろうとしたその関係に、心より祝福を贈ります、と。

 私は過ちを犯しました。
 ある方が薔薇園で涙を流されているとき、何も声をかけなかったのです。
 あのとき、私は、無理にでも話をさせていただくべきでした。
 その方が抱えておられる悩みや苦しみに、手を差し伸べるべきだったのです。
 今になってつくづくそう思い、悔やんでいます。
 その方がこの場に居られたなら、言って差し上げたい。
 もし何か悩みがあれば、ご相談下さい、と。
 微力ではありますが、協力は惜しみますまい。
 事情は分かりませんが、きっとその方は、多くの犠牲を払われたのでしょう。
 人知れず悩みを抱えて、今も苦しまれているのではないかと思います。
 私は何とかしてその方の助けになりたいのです。
 と言っても、懺悔をせよというつもりはありません。
 私にはそんな資格はありませんし、力もありません。
 ただ、友人として、ほんの少しばかりの人生の先達として、お話をすることが出来たらと思います。
 手紙でも何でも構わないのです。
 誰かに話せば、それだけで気が楽になることもありますので。

 思うに、あの方は、沈黙の淵の中で、口をつぐんで生きていこうとしているのではないでしょうか。
 誰かから責められるのを恐れ、また、ご自身も、この生活のあり方は罪深いのではないかと、悩んで居られるかも知れません。
 正直申し上げて、あの方の悩みは杞憂だと言い切る自信はありません。
 しかし、あの方がご友人の方々を慈しむ様子を、ご友人の方々があの方をいたわる様子を見ていると、そこにはまた、別の真実があるように感じられてならないのです。
 確かに法は尊ぶべきものですが、それに勝るものもこの世界には存在するのではないか、主もこの愛の形をお許しになるのではないか…そう思えてくるのです。
 こんなことを言うとおかしいかも知れませんが、私は期待しているのかもしれませんね。
 いつかあの方が私の教会を訪ね、溢れんばかりの笑顔を見せてくださる日が来ることを。
 生きていて良かった、今日という日を迎えられて良かった、本当に幸せだったと言ってくださることを。

 お嬢さん。
 あなたの髪の色を見ているうち、ふと、思い出したことがあります。
 随分前のことです。
 私には、大切な人がいました。
 その人の名前は、アンと言います。
 彼女はモンゴメリの『赤毛のアン』が大のお気に入りで、自分と同じ名前を持つ主人公に憧れ、いつもペイパーバックを傍らに置いていたものです。

 本当に優しい女性でした。
 それだけでなく、とても勇敢でもありました。
 他人の生命の危機に、自らの身を投げ出すことを躊躇しなかった女性でした。
 世界は変わると、たった一つの言葉でも、それを積み重ねれば世界は変わるのだと、そう私に教えてくれた人でした。
 私は彼女に生命を救われ、今日まで生き長らえてきました。
 彼女が亡くなってから何十年も経ちましたが、もし彼女が生きていたなら、きっと、あのお二人に助力を惜しまなかったと思います。
 恋の苦しさに耐えかね、目が眩んでしまいそうになった若い二人を、そして、その二人のために進んで身を投げ出そうとしている人を、あたたかく包み込んでくれたに違いないのです。

 とりとめもなく長々と書いてしまいましたね。
 そろそろこの辺で筆を置きたいと思います。
 あなたの居る場所はきっと、ここより寒いのでしょう。
 風邪など召しませんよう、みなさま、お身体にお気をつけて。

 それでは御機嫌よう、幸せ色のリボンがとても良く似合うお嬢さん。
 あなたの笑顔にまた触れられる日を夢見つつ。


                         ジョゼフ=ノーマン


【終わり】

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グラノフカ設計局 (GRNVKA OKB)

 http://homepage1.nifty.com/grnvka/
 grnvka@mail.goo.ne.jp

・参考文献
 本田創造著 「アメリカ黒人の歴史 新版」(岩波新書)

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